ポルトガル人/ブラジル人は時間を守らないカルチャーは言葉に隠れてるかも?「Que horas são?」有關葡國人/巴西人不守時的文化可能隱藏在話語裏頭?「Que horas são?」
自分の勝手に決め付けるではなく、単なるほかの人の書込みからしてみたら、ブラジル人/ポルトガル人には時間を守らない人が多いらしい。本当にそうかどうかよくわからないが、みんなにそのような印象されてるかもしれないですね。
ネットで調べたら、ブラジル人/ポルトガル人の時間を守らないの書込みは結構あった。
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そういえば、この間、久しぶりに夜学のある同級生のB氏と会って、彼は応募するため、ポルトガル語の勉強することになり、僕は彼にちょっとしたポルトガル語授業を与えた時に、彼のポルトガル語の教科のある書内容を思い出した。
彼の教科書のポルトガル語で今は何時ですか、今は○○時ですっていろいろ例句があった。
問:今は何時ですか?「Que horas são?」
答:今は6時です。「São seis horas」
ポルトガル語のsãoとは動詞の「ser(意味は”である”という」の辞書形から第3者の複数と変化して、英語からして理解すれば、「verb to be」の第3者の複数の「are」ということだね。
その代わりに、英語の場合はこうになる:
問:今は何時ですか?「What time is it?」
答:今は6時です。「It is six o’clock.」
ポルトガル語には時間は複数だと表現してるんだね。確かに、本格的にいうと、1時間には60分があり、1分には60秒があり、これで1時間は60×60=360秒があり、こういう数えればさすがに複数だろうけど。ただし、ポルトガル語には時間に対して複数の表現とするそれだけは間違いはないだね、要するに、日常生活の言葉「ポルトガル語」には無性に時間は複数なんて時間は多いだろうなと思い込みがあるようになってしまうわけで、時間の守らないカルチャーのもそこで生まれてきたかなと自分は勝手に推論した。w
ちなみに、マカオ人もよく時間の守らない印象されてるそうだね、無責任の言い訳かもしれないけど、それは元ポルトガル植民地わけだったんだろうかなっと。w其實並唔係我自己隨意批評架,純只係從別人所說及批評的唻去睇,巴西人/葡國人好似唔守時的較多.究竟係唔係真就唔清楚,不過,大家大概有呢種印象都唔定.
上網搵過,有關巴西人/葡國人唔守時的記事都唔少吓.
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話時話,之前,見返一位好耐都冇見的夜校同事B君,佢諗住要應試,所以要學葡文,我同佢補咗少少葡文課時,諗起佢本葡文教科書啲內容.
佢本葡文教科書內有現在幾多點,現在○○點的各樣例句係到.
問:現在幾點?「Que horas são?」
答:現在6點.「São seis horas」
葡文的são係動詞「ser(意思係”是”」的原型變為第3生的眾數而成,以英文理解的話,即係「verb to be」的第3生眾數「are」咁解.
英文的情況如下:
問:現在幾點?「What time is it?」
答:現在6點.「It is six o’clock.」
葡文方面時間係以眾數唻表達的.的而且確,嚴格唻講,1粒鐘有60分,1分鐘有60秒,咁樣樣,1粒鐘即係有60×60=360秒,咁諗的話就的確相當眾數吧.不過,葡文就對時間而言係以眾數唻表達呢個就一定冇錯吧,咁即係話,日常生活的說話中「ポルトガル語」會不意間認為時間係眾數來的,正因可能會諗住時間係有好多的,而變成不守時的文化都唔定,以上是我的個人隨意推論而得出的.w
另外,澳門人都好似被人印象覺得唔守時咁,以下的藉口可能係無責任咁,唔守時的原因大概可能係前葡國植民地的原故吧.w
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